2018年8月12日日曜日

花火

中央区が主催する花火大会は2015年を最後に中止となっていたが、今年はホームページ制作会社が主催する花火大会が東京湾で開催された。歌舞伎コラボとBSフジの中継が主体の有料イベントだが、打ち上げ場所から4.5kmほど離れた都内のビルから花火の打ち上げを観察することができた。

Nikon D850, AF-S NIKKOR 200-500mm f/5.6E ED VR
ISO64 F=200mm F8.0 30秒
3枚の画像をカラー比較(明)で合成


調整前後の画像を比較

湿度が高く大気がガスっているのに加え無風に近い状態で、花火の煙が停滞して見通しが悪い。撮影した画像はコントラストが低く見栄えのしないものになった。D850で撮影したRAWデータをAdobe Lightroom Classic CCで現像する。彩度とコントラストが欲しいので、プロファイルは「カメラ風景」を選択する。トーンカーブの調整にある「ダーク」のスライダーをマイナス側に動かすと、かすみが除去され締まりのある画像になる。「ライト」のスライダーをプラス側に動かすと、自然な感じで花火の輝きが増す。Lightroomにはこれとは別に「かすみの除去」というスライダーがあるが、この画像には適しておらず、「ダーク」と「ライト」のスライダーが非常にうまく働き、そこそこキレイな画像になった。上の画像は、Photoshop CCで3枚の画像を合成したもの。

さて、長時間露光で撮影された打ち上げ花火の光跡は「写真」と言えるのだろうか。この画像は人が肉眼で観測し得た現象ではないし。フォトショップで複数画像を合成した点についても時間軸が圧縮されており、作りものと言える。だが、個々の画像に定着された光跡は、レンズによって光学的に結像されたものに違い無く、デジタル写真の機械的プロセスによって生成された像を歪めずにそのまま用いたものである。画像の輪郭を生成する過程においては撮影者の主観も手作業も介在していない。いわば、魚拓をコラージュしたようなものであり、目を書きいれたり尾ひれを書き足したりしたわけではない。

先週、映画監督のヴィム・ヴェンダース氏が「iPhoneで撮った写真は、写真とは呼べない」と言ったなどというニュースが流れ、iPhoneの信者は騒然としたわけだが、これは面白い話である。その理由として、スマホ写真はプリントされないことや画像を加工できることなどをあげている。この話については、同意も反論もたくさんの疑問もある。そもそも、画像を後加工するという行為は、写真が写真でなければならない理由とは正反対である。それは、写真という表現手段の技術的価値をないがしろにする行為にほかならない。俺は個人的には画像の加工はほとんどやらない。露出や階調の補正、ホワイトバランス修正すらしたくないが、軽微であればそのくらいはセーフだと思っている。レンズが結んだ像を変形させたり、都合の良いように切り取ったり消し去ったりしない限り、写真の価値は同一のまま保たれると思っている。