2008年12月27日土曜日

エツミ ドームスタジオM

小物を撮影するためのグッズ、エツミ ドームスタジオM(3980円:ヨドバシ)を購入。同種の商品の中では、最も取り扱いが楽な構造なのだが、この商品、付属のバックスクリーンが青・緑のリバーシブルのみで、グレーが別売(1980円)なのが超難点である。青や緑は切り抜く場合を想定しているのだろうが、写りこんだり透けたりする被写体には使えないし、切り抜かない場合、色が下品すぎてバックにはおかしい。付属のバックスクリーンの片面は、グレーか白であるべきだ。仕方なく、別売りのグレーのバックスクリーンも購入。(1980円:ヨドバシ) しかしまたこれがまた、値段の割には粗末である。ロール状態で売られているが、広げると縦横に折目が数箇所あり、アイロン掛け無しでは使えない。裏面は一応白色だが、布目が粗い。本体そのものは便利な形状だが、商品としては減点だらけである。

D700内蔵フラッシュ直射
AF 50mm F1.4D ISO200 F8 1/250秒
バックスクリーンはアイロン掛けをしても折目が完全に取れず、
布の中央にうっすら縦の折目が写っている。

ドームスタジオM使用。
D700の内蔵フラッシュの光量を最小(1/128)に設定し、
小型スレーブフラッシュ(ヒカル小町)をドームスタジオの真上、約50cmから照射


D700の内蔵ストロボ(1/16発光)+ケンコー影とりで、正面からの補助光を追加。


実際に使ってみると、食卓用のアレとは異なり、ドームを開くのはヒモを引くだけでは無理だ。完全に閉じた状態からヒモを引いても何だか引っかかって開こうとしない。どうやら、ヒモは無視し、あらかじめそれらしい形に開いた上でヒモを引いて固定するというのが正しい手順のようだ。閉じた状態でも骨がまっすぐではなく湾曲しているので、開きにくい上、閉じてもグズグズな状態になり傘のように細く巻くことはできない。バックスクリーンの取り付けも面倒だ。バックスクリーンは、微妙なシワやたるみが影になって写り込み易く、目立たないようにするにはかなりの調整が必要である上端の骨をパイプ状の丈夫な物に変更し、ドームの内側にフックで引っ掛けるような構造にすればたるみも出にくいと思うし、 ドーム背面の開口部も不要になるはずだ。しかもスクリーンを巻いて収納する際にもパイプのような軸があった方が巻きやすく、シワになりにくいはずなのに。ううむ。なぜそうじゃないのか大いに疑問である。
撮影してみたところ、フラッシュ1灯ではドーム全体に光が当たらず、正面には光が回らないようだ。かと言って、一番下のように単純に正面から補助光を追加しただけではいまひとつだ。照明にはデスクスタンドや窓際の自然光が向いているのかもしれない。まあ、そこらへんは使い方次第ではあろう。

2008年12月21日日曜日

D700+EL-Nikkor+ベローズでフィルム複写

前回、D700+マイクロ55mm+ベローズで135版モノクロネガを複写してみたが、D80では完璧だったAiマイクロニッコール55mm F3.5も、フルサイズのD700では像面湾曲によると思われる周辺画質の問題が判明した。この次のバージョンのAiマイクロ55/2.8から近距離収差補正機構が採用されているが、それは持っていない。試しにマイクロ55/3.5をリバースしてみたが、倍率が大きすぎてベローズが使えかった。また、AF 50/1.4Dも試してみたが、これも全群繰り出しなのはもちろん、接写など考慮されていないレンズなので、像面湾曲に加え、樽型の歪曲も出てしまう。他に使えそうなレンズは、2本のEL-Nikkorしかないのでこの2本でテストしてみた。

前回と同じ元画像

上段 EL-Nikkor 50/2.8 F16
下段 EL-Nikkor 80/5.6 F16
D700 +ベローズ+スライドコピア
ピクチャーコントロール:モノクロ/コントラスト:標準/輪郭強調:標準+2
ネガポジ反転後、ヒストグラム上下の空の部分を削除し、ガンマその他は無調整。

EL-Nikkor 50/2.8は、像側(後玉側)のイメージサークルは135判用だが、本来引き伸ばし用なので、等倍などという使い方は想定されていないと思う。(普通ベタ焼きサイズの引き伸ばしなんてしない)
このレンズの最小絞り F16まで絞っているが、周辺画質は良くない。周辺部も含めるとEL-Nikkor 80/5.6の方がいい。このEL-Nikkor 80/5.6は、かなりコンディションの悪い玉だが、絞れば十分使えるのが分かったが、反転画像のハイライト部に気になる影が。このレンズ、前玉のコーティングが粗末なため、どうも前玉の反射がフィルム面に写り込んでいるようだ。ううむ。まあいいか。あんまり追求しても仕方ない。フィルムなんぞ使わずとも最初からD700で撮った方が早いのは分かっている。

2008年12月19日金曜日

D700+マイクロ55mm+ベローズでフィルム複写

以前からD80でやっていたのと同じ方法でD700を使って135判モノクロフィルムを複写してみた。D80の場合倍率の関係でベローズが使えず、接写リングを使う方法だったが、D700はフルサイズなのでベローズが使える。D700にマイクロニッコール55/3.5とベローズ、スライドコピアを取り付ける。絞りはF8でいこう。D80でこういう作業をやると、ファインダー視野率の問題でフレーミングに苦労した。D700のファインダー視野率はD80と変わらないが、こういう作業では、かわりにライブビューが使えるので、完璧なフレーミングもたやすい。

セッティング状態。このレンズは近距離収差補正機構がないのでピントリングは無限遠。
ベローズをほんの少し伸ばして等倍。


元画像:F3HP ニッコールオート UD 20/3.5
ネオパン 400PRESTO ISO1600増感


複写した画像:上から、左下・中央部・右下
なんてこった。D700で複写した画像は、周辺部がボヤボヤだ。スライドコピアは同じ物なのでフィルムの平坦性による問題ではなさそうだ。ううむ。コマなどによる像の流れというよりも、像面湾曲によるボケに見える。周辺部がだめというよりも、むしろ、まともに解像しているのはそれこそDXクロップ枠程度の中央部分だけである。おかしい。マイクロ55mmで周辺部がこんなにボケるとは。セッティングの問題だろうか。

2008年12月17日水曜日

周辺光量と像側テレセントリック性

「デジタルカメラのセンサーはその特性から、レンズを通して入ってくる光をフイルムに比べて真っ直ぐにあてる必要がある」という。フィルム用に設計された、像側テレセントリック性が考慮されていないレンズでは、撮像素子の受光部が表面のマイクロレンズよりも奥まっていることによるケラレ生じるため、激しい周辺光量落ちが起こると言う。俺にとっては周辺光量低下もレンズの大事な味のひとつで、それがフィルムの場合と同じ原因で起こるものなら受け入れられるが、デジタル固有の現象は受け入れがたい。実際のところ、D700でニッコールUD 20mm F3.5という40年近く前に作られた非常に古いレンズを使っているが、フィルムに比べて周辺光量落ちが激しいとは感じない。ホロゴン*のような光学系でもなければ、周辺光量落ちの原因は主に口径食である。口径食による周辺光量低下であれば、絞ることによって改善される。最後の写真を見ていただきたい。UD 20mm F3.5をF16まで絞って撮影したものだ。非CPUレンズのため、D700のヴィネットコントロール機能は働いていないが、このレンズの場合、絞り込むことで周辺光量を十分に確保することができ、デジタル固有の不利はないように思う。Fマウントのようにフランジバックの長い一眼レフでは、像側テレセントリック性の有無が周辺光量に及ぼす影響など無視していいのではないだろうか。*レンズ後端からフィルム面までの距離が非常に短いため、光軸からの角度と画面中央からの距離の相乗効果コサイン4乗則というらしい)で、画面周辺部で著しい光量低下が起こる

Nikkor-UD Auto 20/3.5 FISO400 5.6 1/30sec

Nikkor-UD Auto 20/3.5 ISO800 F3.5 1/320sec

Nikkor-UD Auto 20/3.5 ISO400 F3.5 1/50sec

Nikkor-UD Auto 20/3.5 ISO400 F3.5 1/320sec

Nikkor-UD Auto 20/3.5 ISO200 F16 1/100sec

2008年12月12日金曜日

D700 旧ニッコール三昧

D700と旧ニッコールを連れて近くの森を散策。紅葉する木はほとんど葉を落としてしまった。誰も入り込まない公園の隅っこへ入り込むと、花札の絵のような渋い風情の枯野がある。枯葉を踏みしめながら独り歩く。昨日と同じ公園。今日はずいぶん暖かい。
オートの35mm F2.8で一回りした後、風のないところに座り込んでオート20mm F3.5に交換。いずれのオートニッコールも2段も絞ればコントラストもシャープネスも抜群で、現代のレンズと変わりない。しかしまた、開放付近の球面収差を味わうのも悪くない。直入射光によるゴーストやフレアだって必ずしも悪者ではない。また一回りして同じ場所に座る。外でレンズ交換するのは気を使う。持ち歩いているブロワーでマウント周りの埃を飛ばし、Ai 80-200/4sに交換する。このレンズ、名玉には違いないが、D80では軸上色収差と思われる中央部での色滲みが気になった。画面サイズの違いのせいか、D700ではあまり気にならない。D700は倍率色収差を自動補正するというが、この機能、OFFにすることができないので、これが効いているせいかどうかは不明。

Nikkor-S Auto 35/2.8 F8 1/125

Nikkor-UD Auto 20/3.5 F8 1/320

Nikkor-UD Auto 20/3.5 F4 1/2500

Nikkor-UD Auto 20/3.5 F8 1/400

Ai Zoom-Nikkor 80-200/4S F8 1/400

Ai Zoom-Nikkor 80-200/4S F8 1/200

2008年12月11日木曜日

AT-X124@FX

DX用のトキナーAT-X124(12-24mm F4)をFXフォーマットのD700で試す。DXでは非常にシャープでディストーションも周辺光量低下も少ない非常に優秀なレンズだ。D700の場合、18mm付近でイメージサークルが対角線いっぱいになりケラレがなくなる。撮影時には気付かなかったが、18mm付近ではケラレは無いものの、周辺部の描写に流れが残る。周辺部も含め、満足に使用できるのは20mm付近になると思われる。



D700 AT-X124 ISO200 WB:デイライト
ピクチャーコントロール:SD アクティブD-ライティング:オート

3枚目の画像の右上部分
ズームリング18mm付近で撮影(
F8 )。ケラレはないが、像の流れが残る。

東レ エクセーヌ製インナーバッグ

いかにもカメラが入っています、といった風情のバッグはあまり好きでは無い。普段カメラを持ち運ぶときは、普通のバッグに入れているので、カメラを保護するためにはインナーバッグがあると便利だ。最近は100円ショップのスポンジ袋を使っていたが、以前、裏地の無いスエード製のバッグにカメラを入れていて、実はこれが一番具合が良かった。カメラバッグの内側は通常、がさついたナイロン生地であるものが多い。それに比べ、スエードは柔らかく毛羽立っているので、万一埃や砂粒が入り込んだとしても、表面の繊維がそれらを取り込んでしまうので、カメラやレンズを傷付ける心配が少ない。手垢などの油分を良く吸い、バッグに入れているだけでカメラがきれいになる。しかし良いことばかりではなく、天然素材なのでカビの心配もあり、古くなって洗濯すると埃や粉も出る。スエードに似たものでセーム革があるが、面積あたりの値段が高く、また薄手なのでインナーバッグの材料には向かない。セーム革もまた、乾燥すると粉が出るし、天然素材なのでカビの心配もある。インナーバッグの材料としては、洗車用の人工セーム革が第一候補だったが、それに代わる良い材料を発見した。
東レのエクセーヌというスエード調の人工皮革である。中野の生地屋さんで発見。1メートルで1,780円。ポリエステルのようなものが原料なので、カビの心配は少なく洗濯も可能。厚手なので衝撃吸収力があり、表面の極細繊維は埃や油分を良く吸いとる。スエードやセーム革に比べ乾燥にも強く、布自体から埃や粉も出ない。
非常に立派な生地なので本格的なバッグも作れると思うが、俺にはそこまでの技術が無いのと、内側だけこの素材であれば十分なので、袋状に縫い合わせただけのものを作り、インナーバッグとして使うことにした。使用前に埃取りのつもりで一度洗濯してみたが、柔軟仕上剤を入れたおかげか、がさつくこともなく、元の風合いのままである。

2008年12月10日水曜日

AF Zoom-Nikkor 80-200/2.8s ピントリングの補修

先日入手したAF Zoom-Nikkor 80-200/2.8s だが、ピントリングのゴムが劣化し、粉を噴いたように白くなっていた。中性洗剤、エタノールと順に試し、拭いてみたが、汚れではないのでふき取ることはできなかった。油をすり込めば良さそうだが、油は普通ゴム(多分正確にはビニール)を変質させてしまう。この物質が正確にゴムなのかビニールなのかも不明である。最初にタイヤワックスを思いついたが、適性が分からず、悩んだ末、ビニール・ゴム・皮革等に対して安全そうな、靴用のクリーナーを試す。艶出し液が染み込んだウエットティッシュのような物だ。しかし艶出し効果があまり強くなく、残念ながらほとんど変化がなかった。
Before

After

靴用のクリーナーの成分を見てみると、「界面活性剤」の他に「シリコンオイル」とある。シリコンオイルは、樹脂部品を劣化させることはないため、金属とプラスチックの混在する部品の潤滑にも使われる。そうだ。シリコンオイルなら持ってる。ということで、レンズのピントリング以外の部分を丁寧にマスキングし、もろにすり込む。まんべんなくすり込んだ後、表面の油分をキッチンペーパーでゴシゴシこすり取る。最後に、中性洗剤を染み込ませ良く搾った布で何度も拭きあげ、マスキングを外して作業終了。匂いやべた付きも なく、漆黒のゴムローレットが蘇った。

水元公園

葛飾区に水元公園という、都内とは思えない広大な景色が広がる公園があるという。ちょっと遠いが、休みだったのでがんばって行ってみた。電車とバスを乗り継いで1時間少々。たどり着いてみれば、なるほど、とてつもなく広い公園である。はるか遠くにメタセコイヤの林が見える。









D700 AF Nikkor 80-200/2.8s, Nikkor Auto UD 20/3.5 ISO200
ピクチャーコントロール:スタンダード
アクティブD-ライティング:オート

水場にはサギやカモメなどの鳥がたくさんいる。いるのでレンズを向ける。こっち見てやがる。AFをCモードにし、3Dトラッキングにすると、飛んでいる鳥も意外と簡単に撮れる。ふーん。ここの鳥は、野鳥といえばそうなのかも知れないが、このサギなどは餌付けされており、逃げる様子などない。素人でも至近距離で撮影できる。週末ともなれば大望遠レンズと高級三脚の自慢大会が開催されているに違いない。そんな場所では素人が鳥にレンズを向けるなどおこがましいばかりか、カメラを持って散歩するのさえはばかられるような嫌な雰囲気がある。平日のためか、幸いそういった輩も目立たず、快適に散歩することができた。

2008年12月8日月曜日

D700試写

D700と子供をぶらさげて公園へ。D700のAFモーターはD80よりも強力で、AF 80-200/2.8sの重い鏡筒もガシガシ回る。AF80-200/2.8sは、取扱説明書に特記されているレンズの一つに該当する。ズームの望遠側かつ至近距離で撮影した場合、ファインダースクリーンのマット面の像とオートフォーカスのピント表示が合致しない場合があるという。このような場合は、マット面を利用してピントを合わせるように指示されている。今日のところは、望遠側の至近距離でもAFでのひどいピンボケは見つからず、MF操作必要はないみたいだ。(むしろ無限遠がちょっとあやしい)
期待どおり、D700のAF精度は優秀で、AF50/1.4DとAF80-200/2.8sについてはAF微調整の必要は無さそうだ。ちなみにD80の場合、キットレンズ以外、AFでまともにピントが合うレンズは珍しく、保障期間内に一度メーカーでD80本体を調整してもらったが、やはりAF50/1.4Dでは常に後ピンとなり、ファインダーから3~5cm目を離してAFロック後、カメラを後退させてシャッターを切る、という変な技まで体得せざるを得なかった。D80の場合精度が悪いというよりも、レンズ毎に一定のズレがあるだけなのだが、AF微調整機能が無いために苦悶したのである。D700にはAF微調整機能があり、この安心感といったらない。
D700のスクリーンはやはりボケ量が少なく、MF機には遠く及ばない。しかし、D80ではプチマグニ(DK-21M)をつけても曖昧で確認不可能だったピントの山が、D700では目を凝らしさえすれば何とか確認できる。測光やWB制御など多くの制御をスクリーン越しに行わなければならないAF機では、スクリーンの透過率を上げる必要があるのだろう。この仕様は仕方ないのかもしれない。視野外にあるフォーカスエイドの表示は極めて視認性が悪い。51点もあるフォーカスポイントの液晶表示はフォーカスエイド時には1点しか使用されないが、それらを使えば、視認性良く視野内で表現できる気がするのだが。


D700 AF80-200/2.8s ISO200

D700での初めての撮影だったので、ピクチャーコントロールはスタンダード、アクティブD-ライティングはオートで試してみた。D80のD-ライティングは撮影後の編集なのでほとんど使ったことがないが、D700では撮影前に設定するアクティブD-ライティングがあり、使ってみることにした。が、挙動がつかめるまではJPEG+RAW同時記録にしよう。ピクチャーコントロールのスタンダードは彩度はかなり高く、コントラストも高め。D80の仕上がり設定はカスタムを主に使っていたが、「ポートレート」も屋外で顔の陰影を柔らかくしてくれるので中々良かった。この日D700でもポートレートを使いたかったが、初期状態では使えなかった。「ポートレート」や「風景」は登録されおらず後でダウンロードする必要がある。ちょっと困ったのが、D700をUSBでPCへ接続するとマスストレージクラスのデバイスとは認識されないことだ。とりあえずPIXUS MP600のカードリーダがあるが、USB2.0には対応しておらず超遅い。先日USB2.0対応のSDカードリーダを買った際に、場所をとるのが嫌でCFスロットの無いものを選んでしまったのを後悔している。高いものじゃないので今度探して来よう。
フルサイズでの画角はやはり自然だ。DXでは焦点距離に対する画角とボケの感覚にどうにも違和感があり、50mm F1.4を「75mm F2」だと、どんなに自分に言い聞かせても、窮屈な圧迫感が付きまとっていた。
ああ。この開放感。何年待っただろう。イメージサークルいっぱいが使えることを、しみじみありがたく思う。

2008年12月6日土曜日

D700

12月に入ってD700の価格が降下し続けていたが、昨日から価格比較サイトの上位が評判の悪い店で占められるようになり、信用できるE店は最安から2,700円程の開きのまま動きがなくなったため、底値と判断した。当日便を依頼したので、今朝注文したものが先ほど届いた。手数料込:217,605円。後にメーカーによる3万円キャッシュバックを受けられるはず。
価格比較サイトの上位に最後に残る店の評判を見ると、梱包があやしく、開封済みの商品が送られてきたり、保証書には他店のゴム印が押されているという。それらは、金策のためにクレジットカードの買い物枠を現金化しなければならなくなった人々が別の販売点で購入した商品に違いないのである。こういった特殊ルートの商品を販売する店舗に、メーカーから商品を仕入れる真っ当なな販売店は太刀打ちるはずがない。真っ当な販売店が価格を下げなくなったとき、そこで手を打つのが正解である。

2008年12月5日金曜日

AF Zoom Nikkor 80-200mm F/2.8s ED

俺は、望遠レンズを使うような趣味とは縁が無いので、望遠といえば運動会専用のMFのAi ED300/4.5sぐらいしか持っていない。135mm程度ならキットレンズDX18-135/3.5-5.6Gのテレ側もある。このレンズはシャープでAFも優れているが、開放F値が暗く、周辺光量不足や発色の悪さは悲惨で、なんの楽しみも無い非常用レンズである。ニューニッコール135/2.8なども無いでもないが、Ai化されていないのでD80には付かない。現在、明るい中望遠としてはもっぱら、AF 50/1.4Dを常用している。先日二千円で入手したMFのAi 80-200/4sが、中々使いやすい焦点距離であることに気付いたが、MFのうえAEも使えない。現在、フルサイズへ移行する計画を着々と進行させているが、AF50/1.4D一本では中望遠域が物足りない。AFニッコールのこのクラスはチープなものばかりで、F4通しのプロズームは用意されていない。現代の高級ズームに手を出せる予算など俺にはあるはずも無いし、あっても貧乏症の俺が買うはずがない。
そこで、今回、F4時代の高級ズーム、AF Zoom Nikkor 80-200mm F/2.8s EDを入手。1988-1992年に作られたものでAF80-200/2.8の中では最初期のタイプになる。参考: ニコンのAF 80-200mm F2.8は4タイプあるそうだ。
D80にAF Zoom Nikkor 80-200mm F/2.8s EDを装着

こ のレンズ、非Dタイプなのであまり人気が無いようである。AF 50/1.4D並の値段で入手。この頃のコーティングはまだNICだが、レンズ構成(11群16枚3ED)は、その後のAF-Dタイプ (1993-1997)やAF-D(new)タイプ(1997-)と変わらない。Dタイプでないので、SICでもないが、所詮中古品なのでコーティングの仕様なんかよりも、コンディションを心配する方が先である。幸い今回の品は、とりあえずクモリやカビも無く、内部ゴミも許容範囲だ。ピントリングが白く なっている以外は無傷で外観もきれいな品である。大口径の美しい描写と使いやすい焦点距離は、常用にはぴったりのはずであった。
だがこのレンズでかい。うっかりしていた。口径と画角しか考えていなかった。まあ、古いとはいえ、プロクラスの高級レンズである。人に見られたとして恥ずかしがることはない。でも重い。撮る分にはともかく、持ち運ぶには重過ぎる。一応、80-200/2.8としてはNikkor史上最軽量(1280g)らしい。

さて、気をとりなおして、軽くテストしてみよう。
今回比較した3本
AF---AF Zoom Nikkor 80-200mm F2.8s ED (フィルターなし)
Ai---Ai 80-200mm F4s(UVフィルター装着)
DX---AF-S DX Zoom-Nikkor ED 18-135mm F3.5-5.6G(IF)(UVフィルター装着)

D80 ISO100で撮影
元画像の中心部を拡大

80mm


135mm


200mm
テスト雑感
AF Zoom Nikkor 80-200mm F2.8s EDの開放F2.8時は甘い。絞り込んでいっても急激な変化はせず、2段絞ったF5.6で激シャープになり、そのままF16まで変わらずキープ。最小絞りF22ではコントラストが少し低下するが、ひどくもやっとするわけではない。
AF Zoom Nikkor 80-200mm F2.8s EDの80mm時は、シャープさはAF-S DX Zoom-Nikkor ED 18-135mm F3.5-5.6G(IF)に譲る。
AF-S DX Zoom-Nikkor ED 18-135mm F3.5-5.6G(IF)については最新レンズなのでシャープだが、このレンズだけ発色がおかしい(露出も)。以前から気が付いていたが、他のレンズに比べると、全体が青緑掛かっていて暗く、UVフィルターを外すとさらに青みが増し、他のレンズとの色の違いが際立つ。
全体の中ではAF Zoom Nikkor 80-200mm F2.8s EDの135mm F5.6時が一番シャープでコントラストがある。驚くべきは、Ai 80-200mm F4sである。AF Zoom Nikkor 80-200mm F2.8s EDと比べてもほとんど遜色ないどころか、200mm F5.6時のコントラストの高さなど、むしろ勝っている気がする。EDレンズが使われていない分、少しの色滲みが見られるが、ED臭さが無く、UVフィルターが利いているのもあるだろうが、レンズ自体の発色が明るく華やかに思える。Ai 80-200mm F4sの光学系はAF化されなかったが、F4時代にこれがAF化されていたとしたら、今の俺にはベストオブ中古だったに違いない。

2008年12月3日水曜日

2段テレコンの月

深い意味は無いが、テレコンが2個になったのでやってみた。元レンズがAi ED300/4.5sで、それにケンコーMC6(2x)+TC-200(2x) をくっつけるので、焦点距離は1200mm相当になる。APS-CのD80では1800mm相当の画角だ。さすがに開放では無理なのでF8(F32相当)まで絞ってISO100 1/2秒で撮影。
Ai ED300/4.5s+ケンコーMC6(2x)+ニコンTC-200(2x) 1200mm相当
D80 ISO100 F8(F32相当) 1/2秒

Ai ED300/4.5sはフィルム時代はシャープなレンズと言われたが、D80で使うとピンクや緑のフリンジが目立ち、いまいちキレのない残念なレンズである。それに怪しいジャンクのテレコンを2段かましているので予想どおりの画像となった。

2008年12月2日火曜日

D3xは24MP 高画素数 vs アナログ写真

D3xが噂どおり12/1に発表された。24MPで89万円。24MPは魅力だが高すぎる。俺のようなアマチュアの場合、費用対効果は見込めない。俺の場合、デジカメは実用写真を撮るためと、レンズ遊びの道具である。その他の「実用でも遊びでもない写真」についてはやっぱりアナログである。
「実でも遊びでもない写真」って何か。芸術とまでは言わない。それは自分のために行う詩的な実験だったりする。ちょっとばかし厳粛なやつだ。こういうのにはデジカメは精神的に違和感がある。デジカメがたとえ何億画素になろうとも、人間の感覚や自然の風景を写しとるための最初の媒体が、拡大すると銭湯のタイル画のように規則正しく並んだ人工的な方形のピクセルで構成されていると思うと萎えるのである。(人の感覚を記録するために、より工的と思える方法が馴染まないというのもおかしな話ではあるが)

写真表現という行為は
、レンズの前に存在する被写体を素材にして、元々は物質としては存在しないところの撮影者の主観というものを写真として組み立てあげ物質化する作業である。表現目的での写真には測量を行うような正確さは要求されないが、写実性は写真という技術の根本要素のひとつであり、被写体の輪郭やトーンの細部構造についてはその記録媒体の中においてアナログ的に無限に続いていて欲しいわけである。
しかし、記録媒体の能力には制限があり、画像の細部構造を無限に記録できるわけではない。フィルムにしても粒子があるからして、解像度が無限なわけではない。だが、銀塩写真ではそれが微細な点描画であるからこそ、その細部構造を見るとき、ツブとツブの間を補間する感覚が喚起させられ、その奥行きを無限にしている。一方、デジタル画像の細部構造は、最終的には縦横に整然と並んだピクセルの妥協的位置に配置される。滑らかに消え行ってほしいディテール表現の最後が、原理的に階段状であることに思いをめぐらせてしまうと、どうにも精神的な違和感を覚えるのだ。


イメージ写真
(オリンパス ペンF, ネオパン400プレストにて撮影したネガの中央部)

俺はフィルムが好きだ。粒子によって構成された微細な輪郭を観察することは、目を凝らして霧の向こうに何かを見つける作業とどこか似ている。あるいは、それは暴風の向こうにかすかな声を聞くことにも似ていたりもする。ノイズと見分けるのが困難だが、それらをじっと、あるいは、ぼんやりと見つめ続け、それを構成する粒子たちが対象を的確に抽象化したものであると信じる事によって、その奥行きや細部構造が際限なく続いていることを確信するわけだ。フジやコダックの人がプラスチックフィルムにどんなふうに乳剤を練りこんでいるか知らないが、引き伸ばし機にかけたネガをピントルーペで覗く時、その、どこか天然の法則によって司られたような粒子の濃淡が、人知を超えた謎の作用によってできた造形であるかのように思えることがある。フィルムの粒子は現像液の中でいったんふやけて自由になった後、不思議な力でもって人間の感覚に共振し、粒子同士がうまいこと擦り合わさって、微細なレベルで都合よく均衡し、心で見た風景が自動的に結像しているかように感じられてしまったりするのである。

実用写真という目的では、フィルムの粒状感は嫌われ者である。
一千万画素超のデジカメ画像からインクジェット出力されたA4、あるいは四つ切サイズのプリントでは、細部にモザイク状の構造は視認できず粒状感のかけらもない。135判フィルムでの引き伸ばしサイズの上限が、一般的には四つ切、あるいはA4程度であると仮定できるなら、デジカメ画像の精細度は135判フィルムと同等、あるいはそれを超えていると言ってもいい。しかし、デジカメ画像の場合は撮影画素数によって出力サイズが制限されてしまい、モザイクが視認できるサイズになると、奥行きがプッツリと途切れたように感じられてしまう。一方、フィルムの場合は、粒子さえはっきりしていれば、どんなに大きく引き伸ばされてもぼやけた印象は無く、むしろ粒状感が無限の奥行きを誘う。粒子が視認できることを許す場合、出力サイズには必ずしも一定の制限は無いといえる。
デジカメは、撮影時の画素数が多ければ、より大きなサイズのプリントを出力できるが、出力サイズと印刷品質の条件によって求められる画素数は決まっており、出力条件を無視したオーバークオリティでの元画像は意味が無い。カメラメーカーやプリンタメーカーもそう口を揃え、商業写真家やデザイナー達がそれを受け入れているのに対し、アマチュア写真家のうち幾分かの人々は、彼ら自身にもなぜか分からないまま強弁にしてそれを受け入れようとしない。そういった方々は、いかにもっと多くの画素数が必要であるか、いかに自分にそれを要求するだけの正当な理由があるかという主張ばかりを繰り返す。彼らの屁理屈の大部分は、
商業写真家に対する劣等感や誤解に加え、資本主義的な虚栄心が生み出した高級機材へ執着などが渾然一体となって昇華したものに違いない。だが、デジタル画像の細部構造がピクセル画である以上、写真の技術的使命に照らせば画素数を増加させることは間違いとはいえないのである。そして、今回のD3xの24MPという値は、アマチュアにとっては明らかに不要だと言い切るにも微妙な値でもある。135 判スタイルのデジカメシステムに、中判デジタル並の解像度が求められる市場もあるだろうし、アマチュア写真家にとってはお金がかかること以外カメラの性能向上を否定する理由はない。