2007年12月18日火曜日

ピンボケ

画面サイズが小さくなると同画角同F値での被写界深度は深くなる。それはプリントを基準に、最小錯乱円を計算している場合の話だ。35mmフィルムがハーフサイズになった場合、これが当てはまるとしても、デジカメの場合、PCのディスプレイでピクセル等倍でチェックするのが普通だ。ユーザーの基準はフィルムの場合よりもかなり厳しくなり、フィルムで許せる範囲のピンボケも許せなくなる。しかし、そういう微妙な話じゃなく、とにかくAFのピンボケが多い。動き回る子供に、無理やり気を付けをさせて撮ってもピンボケだらけだ。廉価なこのクラスの一眼レフカメラを、子供の運動会用と決め付けているような階層の方々や、メーカーの方々は大きな勘違いをしている。おそらく、この 世で一番ピントを合わせにくい被写体は、子供である。親が子供を撮るなんぞ、当たり前のど真ん中であり、それこそ最上級のフォーカス性能が要求されるのだ。俺のD80は、先日本体を調整してもらったので、MFでの前ピンは解消したが、AFでは依然として、ピンボケが大量生産され続けている。子供と公園へ出かけ、シングルAFでがんばっても、まともにピントが合ったコマは数十枚に一枚しかない。50mm F1.4なんて、35mm的被写界深度で言えば、75mm F2.1だ。それほど難しいレンズだとは思えない。これが無理なら85/1.4とか300/2.8とかあり得ないじゃないか。ぶた野郎。
 F2フォトミックからワープしてやって来た俺は、AF機を使ったことが無い。D80は高級機では無いが、現在に通ずるAFシステムは既に20年近くの歴史があり、ある意味、つまり静止している被写体に対する合焦精度なんかは、とっくに枯れたものだと思っていた。残念だ。なんだこんな物か。がっかりだ。もちろん動くものなど追いつくはずも無い。動体予測なんて言葉はインチキもいいところで、おそらくホームにゆっくり入ってくる電車にでさえ、その効果は疑問だ。
 ピンボケが多いのはAF精度もあろうが、別の原因としては、フォーカシングスクリーンがある。要するに、ピントが合っているかどうか分からない状態で、シャッターを押さざるを得ないのだ。MF時代、レリーズボタンを半押しして待っていたものは一体何だったか? それは時間的な意味でのシャッターチャンスだけではない。もうひとつはピントである。ピントが浅いレンズを使って近距離で人を撮る場合、最初はピントリングを回してピントを追うが、いったんピントを合わせたら、被写体や自分の身体の揺れ等によるピントの変化を、スクリーンの像で観察しながらそれに呼吸を合わせ、ピントを合わせたい部分が被写界深度内に再びやって来るのを待ち、タイミング良くシャッターを押す。そういう手順だった。その時間もまた、大切なものだった。それに比べ、AF機のフォーカシングスクリーンは透過型も同様で、ピントなんぞほとんどつかめない。それゆえ、半押しでいったんフォーカスロックしてしまうと、ピントには盲目も同然、それを観察するという行為を放棄せざるを得ない。そして、被写体との距離が変わらぬ前に、ただ一刻も早く、シャッターを押し込まなけれならないのだ。AFが窮屈に感じる原因はこの手順にある。ましてやコサイン収差など気にしだすと、構図も変えられない。
動体の場合は特に困難だ。コンティニュアスモードでAFを使うわけだが、フォーカスエリアの移動操作をしなければならない。しかし、覗く前に位置が決められようか。実際には、一度覗いてフォーカスエリアを移動させ、また覗く。面倒なので、次はファインダーをのぞいたまま行う。すると手持ちのバランスは崩れるわ、アイピースが目にささるわ、とにかく厄介だ。かといって、オートエリア選択では、単純に最も手前のフォーカスエリアが選択される場合が多く、大抵は妥当ではない。また、AFがコンティニュアスモードの場合、構図はフォーカスエリアの配置に制約されてしまう。フォーカスエリアの配置は良く考えられているが、周辺部のフォーカスエリアはクロスセンサーではなく、それだけが原因ではないと思うが、その精度については甚だ疑問である。多点のフォーカスエリアをダイナミックに自動的に切り替えて追跡する機能など、もってのほかだ。一応ついているわけだが、D80においては、それが機能しているとはまったく思えない。信用もできないし効果も見られない。
 この20年、メーカーはへんてこなAF機をじゃんじゃん量産してきた。その間、AFについてのノウハウをたっぷり積み重ねてきたはずだ。これではオートエリアでコンティニュアスにしといて、馬鹿みたいに連写するしかない気がしてくる。あれ?もしかして?AFはあまりにも進化しすぎていて俺が知らないだけなのか?実はそれでOKなのか?たしかにそんな使い方はしたことが無い。いや。でもおかしい。デジカメはフィルム代が掛からないからといって、そういう使い方はおかしい。そんなはずはない。
 明るいだけでボケが分からないという仕様の、現代のフォーカシングスクリーンでは、MFでのピント合わせも至難の業だ。出来なくは無いんだが、あまりに も時間が掛かり過ぎる。AFレンズはヘリコイドのグリスに粘りが無く、鏡筒もガクガクする。ファインダー倍率も低く、マグニファイングアイピースとか言っ たって、ほんと気休め程度だ。もうやってられない。
 以前、D80のスクリーンに嫌気がさして、X-700の水平スプリットマイクロプリズム付きスクリーンを削ったものを入手し、使ってみたことがある。D80に取り付けてみると、スクリーンは暗くなるが、MF機同様、マット面で容易にピント合わせが出来ることがわかった。しかし、そのままでは前ピンになってしまい、無調整では使用することは出来ない。とりあえず、雰囲気だけ味わってすぐに取り外してしまった。なお、マルチパターン測光でのテストでは、露出への影響はあまり見られなかったが、このような物に換装した場合、スプリットのある中心部の透過率の違いや、フレネルの構造の違い等から、スポット測光やi-TTL調光等への影響があることは容易に想像がつく。AWBは撮像素子とRGBセンサー両方の情報を参照するらしい。ということは、スクリーンの色味の違いが、ホワイトバランスにも影響する心配もある。ボディ測光機とは違い、スクリーン越しの情報を数々の複雑な制御に利用しているため、ただピントが合えばいいという代物ではなく、代替は容易ではない。明るいスクリーンを使用しなければならない理由のひとつには、スクリーン越しに測光していることもあるだろう。問題の根は深い。

2007年12月16日日曜日

葉っぱ釣り AT-X124



これはこの季節流行する葉っぱ釣りという遊びである。イチョウの落ち葉の茎の部分を結んで輪を作り、枯れ枝の先っちょで釣るのだ。枝先の微妙なコントロールが必要で、地味だがなかなか面白い。
Tokina AT-X124 12-24mm/F4は35mm換算で18-36mmとなるDXフォーマット用の広角ズームである。解像度は極めて高く、超広角レンズとしては周辺光量の低下は非常に少ない。歪曲収差も極めて小さく、ズームレンズであることを考慮すると、驚異の高性能と言える。DXフォーマットで超広角と言える手頃な単焦点はNikkorのラインナップには無く、純正唯一の選択肢はAF-S DX Zoom Nikkor ED 12-24mm F4G(IF)だが、Tokinaとは実売で実に7万円もの価格差がある。レンズメーカー製レンズを選択するには心の整理が必要だが、俺にとって選択の余地は無い。最近、これのF2.8版が出たらしい。Tokinaおそるべし。

ちなみに俺のAT-X124は当初、AF時かなり前ピン気味だった。無限遠時、距離環 が2m付近で停止してしまう。開放時の過焦点距離よりは遠いが、MFで∞に合わせた場合に比べると、明らかに甘い。近距離でも∞~2mと同回転角分ぐらい前ピン気味に思え、ばらつきも多い。AFシステムがど うなっているかよく分からないが、俺の思うに、このレンズはヘリコイドの停止位置制御が一定角度ズレていて、測距後、計算した分だけヘリコイドを回転さ せた後は、元々の被写界深度が深いためにAFセンサー的にはOKを出してしまい、ベストを探るような動作はしないように思えた。メーカーに修理を依頼したところ、補正したパーツに交換してくれたという。良くなった気がしたが、実はAF駆動後のヘリコイドの停止位置が単に機械的に逆方向の∞側へずれただけのようだ。しかも過剰補正気味である。無限遠時、∞マークを通り越して停止することが多い。これでは後ピンではないか。でも現状、当初よりは良い。これ以上は不毛である。元々被写界深度は深く、画面サイズから計算すると12mm/F4時の過焦点距離は1.6m、F11では0.5mとなり、あまり精度は要求されないはずだ。純正でない、というのはこういうことであろう、と諦めることにした。

2007年12月5日水曜日

nikkor-ud auto 20mm f3.5




nikkor-ud 20mm f3.5は俺の一番気に入っていたレンズだ。昔はほとんどこれで撮っていた。過去形なのは仕方がない。俺のは純正Ai改造済みだが、D80では30mmというつまらない画角になってしまう上、絞込み測光すら出来ないのであまり使う機会は無い。その上重い。モードラ付きのF2と一緒に持ち歩いていた頃は、全部が重いので気にしなかったが、D80に付けるとやたら重い。ニューニッコール以前の重厚な質感を持つ真鍮黒塗りのこいつを、プラスチック丸出しのD80に取り付けると、猛烈に違和感がある。材質が違うので質感どころではない。前玉のデカさが主張するように、大変高性能なレンズで、1968年に発売された物らしいが、シャープさは現代のレンズとさほど変わらない。逆光時のフレアも少なく、ゴーストも出るが上品だ。レトロフォーカスの初期のものであるため鏡筒が深く、開放時は口径食による独特なボケや周辺光量不足も顕著だが、それらはすべて良い味となっている。このレンズの良いところは性能云々ではなく、まるでガラス玉から覗いているかのような不思議な透明感や空気感を作り出すところにある。こいつがフルサイズで使えないのが本当に惜しい。いつの日かD3が買えるまで、今は眠ってもらうしかない。
千夜一夜

2007年12月4日火曜日

画像の表示

昨日、今日あたりにポストした画像をクリックするとFirefoxがダウンロードしようとするようになったが、俺だけじゃないみたいだ。中の人も分かっているみたいなのでそのうち直るかな。
Problem open pictures in new windows from today... before is ok

2007年12月3日月曜日

Nikkor AF 50mm F1.4D



話が長くなるので気をつけてくれたまえ。
フィルム時代、50mmは本当に難しいレンズだった。かつて35mm一眼にデフォルトで50mmが装着されていた時代、それは標準レンズと呼ばれた。初心者向けの解説では、絞りを開ければボケを生かして望遠風に、絞ればパンフォーカス気味の広角風に使用できるなどと言われていた。標準レンズで修行することは修練の王道であり美徳であるとされていた。今思えばそれは明らかに嘘っ八だ。その画角はスナップにはあまりにも狭く窮屈で、自然な視角などとは程遠い。かといって望遠のような圧縮効果は無い。所帯染みた遠近感がどこまでもつきまとうだけだ。標準レンズというネーミングや50mm万能論、50mmサイコーなどという考え方は、高価な広角レンズや望遠レンズのウマ味を知っている、裕福層の自称玄人達が、安物の割に良く写るこのレンズに初心者を縛り付け、平凡で何を撮っても画にならないという恐ろしい罠にハメようとした陰謀に他ならなかった。
 俺はとにかくありきたりなのが嫌いだった。50mmがデフォルトだった時代、ズームレンズという恥ずかしい言葉もあった。いや、ズームの機構や技術は決して恥ずかしいものではない。しかし、当時ズームという言葉は、「ズームイン!」「ズームアップ!」みたいなノリで社会的には単焦点を含めた望遠光学系を意味している雰囲気があった。今でも「それ何倍?」的な階層の人々にはそういう誤解があろう。野鳥やスポーツなどに興味が無かった俺は、被写体を望遠レンズで拡大して撮影するなどという行為が、幼稚に思えて仕方が無かった。興味の方向がありきたりで、みっともない趣味だと思った。望遠は恥ずかしいと思った。同じ意味で使われているならズームという言葉まで恥ずかしい、そう思った。
 そういう訳で、俺はクールな広角にそそられた。コンパクトカメラについている35mmの方が視覚に近くスナップに向いているなどとも言われたがやはり嘘っ八だ。それならどっちかっていうと28mmじゃないか。いや、俺には足りない。なんか違う。もっと広角だ。もっともっと近づかなければ。どうせなら超がつく程広角で、がっぷりと接近して、物に触れるような遠近感がほしい。そして20mmは俺にとって満足な画角だった。当時、経済的に入手することは困難だったが、どうにか中古のオートニッコール20mmを手に入れた。以後20年間、こいつは俺の標準レンズとなった。「君の写真は頭とか足とかビヨーンって伸びて写るからイヤだぁ」とよく言われた。俺はお構いなしだ。それがどうした。そんなの当たり前に決まってるじゃないか。

 おっと。先日入手した、AF 50mm F1.4Dの話をしようとしていたのだ。DXフォーマットでは75mm相当の画角になる。コンパクトで明るい中望遠で、しかも近くまで寄れるし、解像度も申し分無い。倍率(?)っていうか画角は75mm相当なので圧縮効果と遠近感は本物の75mmと同じだ。
しかし本物の75mm F1.4とはちょっと意味が違う。ボケ具合は一体どうなるのか?
35mmフィルムとDXセンサー、それぞれの大きさに応じた最小錯乱円径を同じ方法で計算する。次に、同じ撮影距離でほぼ同じ被写界深度になるようにF値を計算してみる。あちこちググって計算方法をおしえてもらい、Excelのゴールシークを使って計算。
すると、DXフォーマット時の50mm F1.4の被写界深度は、35mmフィルム時の75mm F2.1に相当することが判明した。そうか!そうだったのか。そういえばそんな感じだ。75mm F2.1なんてレンズは見たことが無いが、想像するに、おそらくこんな感じのボケだろう。ううむ…。なるほど。

2007年11月26日月曜日

Olympus PEN-D2

Olympus Penシリーズは1960年代に流行したハーフサイズカメラでD2は1964年に発売された。こんなに小さいのに絞りもシャッターもフルマニュアルだ。小型の割にずっしりと重く、中にメカがギッチリ詰まっているという精密感がある。贅沢なF. Zuiko 32mm F1.9レンズと、外光式の高感度Cds露出計が搭載され、バルブや1/500秒の高速シャッター、X接点のシンクロターミナルまで装備されている。OlympusによるとDシリーズはプロ仕様のデラックス版なんだそうだ。しかし、現代においては、マニュアルで絞りや露出などをあれこれいじりまわすなどというのは、もっぱらアマチュアの役目であろう。





俺は小学生の頃、家にあったPen D2を分解してめちゃめちゃにぶち壊して捨ててしまった思い出がある。シャッター羽根が割れて巻き上げもチャージも固まっていたし古いカメラだからいいと思った。後年、大人になってPenの価値を 知った俺は、それを思い返してずいぶん後悔した。5年ほど前、偶然あのPen と再開し、ちょっと高かったが、償いの思いに駆り立てられ救出してしまった。試しに1本撮ってみたところピンボケが多く、鏡筒が分解されるかでもした固 体だろうと思い、その後しまい込んでいた。
 先日、いつも使っているD80がちょっと前ピンなのが分かったので修理に出した。一ヶ月くらいかかるらしい。もう一台のリコーGXもゴミが写るのでついでに一緒に修理に出してしまった。ハーフならプリントも安いし、いい機会なので本当にピンボケなのか気になっていたPenをひっぱり出して目測のピントに気をつけて一本撮ってみた。ローソンの0円プリントは750円で中2日。フィルム代を入れてもL判一枚13.5円とデジカメより安い。ピンボケじゃなかった。素晴らしくシャープだ。このカメラは本来、露出計に古いタイプの水銀電池を使用するが、どうやらLR44でもまったく問題ないようだ。気に入ったので、軍艦部カバーを外して手入れしてやることにした。ファインダーと露出計のスイッチを清掃し快適になったので、また36枚撮りを入れてやった。

ジャンクレンズ

中野のFカメラ店でジャンクとして売られていたAi AF Zoom Nikkor 35-70mmF3.3-4.5Sを1050円で救出。F2フォトミックからD80にワープした俺にとっては、カップリングでくるくる回るAFレンズが珍しいのだ。純正品だけあってメカ的な連動やピント精度はすばらしい。順光ならコントラストも高くよく写る。傷もクモリも無いが、逆光だとフレアが凄まじく、ゴーストも強烈でとんでもないことになるがそういう仕様のようだ。

画像Up

2007年11月18日日曜日

nikkor auto 35mm f2.8


白鏡筒のオートニッコール35mm F2.8だが俺のは部品払底前に純正Ai改造されたものだ。開放でのボヤボヤは非常に味わい深いものがあり、球面収差が大きいせいだと思うが、後ボケは水彩画のような美しいボケが得られる。2~3段絞れば現代のレンズと見分けがつかない程度にまでシャープになってしまう。

どんぐり

公園

風船

画像Upテスト


白黒





この頃、ISO400のフィルムを1600に増感し、トリミングは嫌いなのでネガキャリアの四角い穴の形のままプリントするというのが俺のルールだった。バライタ紙はO社の二号紙と決めていた。こいつらは、当時フジブロで焼いたもので、いつかバライタで焼きなおすつもりだったが、その後仕事やら暮らしやらずいぶん変わってしまい、写真など撮ることも無く、結局できないままそれから十数年が経った。あの頃はちっとも苦じゃなかったが、今から思えばやっぱり白黒は面倒だ。最近、あの素晴らしい純黒調のバライタ紙もとうに無くなっているらしいことを知った。白黒はもう一生やらないと思う。