2007年12月3日月曜日

Nikkor AF 50mm F1.4D



話が長くなるので気をつけてくれたまえ。
フィルム時代、50mmは本当に難しいレンズだった。かつて35mm一眼にデフォルトで50mmが装着されていた時代、それは標準レンズと呼ばれた。初心者向けの解説では、絞りを開ければボケを生かして望遠風に、絞ればパンフォーカス気味の広角風に使用できるなどと言われていた。標準レンズで修行することは修練の王道であり美徳であるとされていた。今思えばそれは明らかに嘘っ八だ。その画角はスナップにはあまりにも狭く窮屈で、自然な視角などとは程遠い。かといって望遠のような圧縮効果は無い。所帯染みた遠近感がどこまでもつきまとうだけだ。標準レンズというネーミングや50mm万能論、50mmサイコーなどという考え方は、高価な広角レンズや望遠レンズのウマ味を知っている、裕福層の自称玄人達が、安物の割に良く写るこのレンズに初心者を縛り付け、平凡で何を撮っても画にならないという恐ろしい罠にハメようとした陰謀に他ならなかった。
 俺はとにかくありきたりなのが嫌いだった。50mmがデフォルトだった時代、ズームレンズという恥ずかしい言葉もあった。いや、ズームの機構や技術は決して恥ずかしいものではない。しかし、当時ズームという言葉は、「ズームイン!」「ズームアップ!」みたいなノリで社会的には単焦点を含めた望遠光学系を意味している雰囲気があった。今でも「それ何倍?」的な階層の人々にはそういう誤解があろう。野鳥やスポーツなどに興味が無かった俺は、被写体を望遠レンズで拡大して撮影するなどという行為が、幼稚に思えて仕方が無かった。興味の方向がありきたりで、みっともない趣味だと思った。望遠は恥ずかしいと思った。同じ意味で使われているならズームという言葉まで恥ずかしい、そう思った。
 そういう訳で、俺はクールな広角にそそられた。コンパクトカメラについている35mmの方が視覚に近くスナップに向いているなどとも言われたがやはり嘘っ八だ。それならどっちかっていうと28mmじゃないか。いや、俺には足りない。なんか違う。もっと広角だ。もっともっと近づかなければ。どうせなら超がつく程広角で、がっぷりと接近して、物に触れるような遠近感がほしい。そして20mmは俺にとって満足な画角だった。当時、経済的に入手することは困難だったが、どうにか中古のオートニッコール20mmを手に入れた。以後20年間、こいつは俺の標準レンズとなった。「君の写真は頭とか足とかビヨーンって伸びて写るからイヤだぁ」とよく言われた。俺はお構いなしだ。それがどうした。そんなの当たり前に決まってるじゃないか。

 おっと。先日入手した、AF 50mm F1.4Dの話をしようとしていたのだ。DXフォーマットでは75mm相当の画角になる。コンパクトで明るい中望遠で、しかも近くまで寄れるし、解像度も申し分無い。倍率(?)っていうか画角は75mm相当なので圧縮効果と遠近感は本物の75mmと同じだ。
しかし本物の75mm F1.4とはちょっと意味が違う。ボケ具合は一体どうなるのか?
35mmフィルムとDXセンサー、それぞれの大きさに応じた最小錯乱円径を同じ方法で計算する。次に、同じ撮影距離でほぼ同じ被写界深度になるようにF値を計算してみる。あちこちググって計算方法をおしえてもらい、Excelのゴールシークを使って計算。
すると、DXフォーマット時の50mm F1.4の被写界深度は、35mmフィルム時の75mm F2.1に相当することが判明した。そうか!そうだったのか。そういえばそんな感じだ。75mm F2.1なんてレンズは見たことが無いが、想像するに、おそらくこんな感じのボケだろう。ううむ…。なるほど。

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