2011年3月25日金曜日

未曾有の大災害

正月に妻が急逝し、仕事やら家事やら子供の学校の事やら色々と大変な日々が続いていた。四十九日も過ぎてやっと生活も落ち着いてきたところにこの大震災が起こった。幸い北陸の実家には直接の被害は無かったものの、地震の直後に起こった原発事故が14日にはのっぴきならない状況となったため、15日の朝子供をたたき起こして朝一番の飛行機で東京を離れた。妻も一緒だ。納骨までこのまま実家で預かってもらおう。

彼岸の饅頭
玉音放送
実家に帰ると母親など原発事故のことなどあまり気にしていない様子。地震と津波に加え、いまにも放射能で日本の半分が壊滅しようとしているのにのん気なものだ。テレビや動画サイトに張り付いて保安院や東電の会見を見守るも、一週間たっても終息の兆しがない。仕事や子供の学校もある。仕方がないので24日の晩、東京へ戻った。東京の浄水場では水道水がすでに汚染されているという。
 
敷物が東電
子供をつれて自宅へ帰ると、一週間前に汲み置きした水道水が玄関に残っていた。今となっては汚染されていない貴重な水だ。これを使って米を炊こう。この水がなくなったら水道の水を飲むしかない。

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